涅槃講式 第四段 そのニ

「涅槃講式 第四段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20120130/1327908075

≪ 原 文 ≫

 今、双林涅槃の像を拝見するに、如来頭北面西にして臥し、大衆前後左右に遶(めぐ)れり。師子虎狼、猛悪の威を収め、菩薩声聞、悲啼の貎を低(た)れたり。
 先づ瞻仰(せんごう)を作すに、身の毛且(かつか)つ竪(よだ)ち、次に啓白を致すに、心府忽ちに驟(うぐつ)く。ここに香花を供ずるに、禽獣羅刹に遍うす。最後の遺訓を受くるを貴ぶなり。悲恋を述ぶるに、双林提河に迄べり。如来の遺跡たるを馴(なつかし)うするなり。誠に今日の法式、耳目に触れて哀傷を催す。

 又涅槃部の聖教を披(ひら)くに、多く三水(さんずい)口篇の文字あり。これ菩薩声聞啼哭の儀(よそおい)、鬼畜修羅流涙の貎なり。
 若し然らば、三水は涕涙至于膝(ているいしうしつ)周迊五由旬(しゅうそうごゆじゅん)の涙河を湛え、口篇は大衆啼哭声、震動三千界の大声を吐けり。紐を解くに哀傷起り易く、字を見るに悲涙禁じ難きをや。

 何ぞ必ずしも智辯の開演を聞いて恋慕を生(な)し、委細の料簡を待ちて、渇仰を致さんや。
 
 仍って悲涙を拭い、憂悩を抑えて、伽陀を唱え、礼拝を行ずべし。

 
  (伽陀)次往涅槃処
      感仏最後身
      於此雙林下 
      利益群生類

  南無拘尸那城跋提河辺如来入滅娑羅双林

≪ 現 代 語 訳 ≫
 さて、今釈尊涅槃の図を拝見すると、釈尊は枕を北に、御顔を西に向けて横になっており、その周りを仏・弟子・あらゆる生き物が囲んでいます。普段獰猛なトラやオオカミも大人しくしており、菩薩や声聞の御顔も下を向き悲しみに暮れています。
 私もまず涅槃図を仰ぎ奉りますと、すぐに身の毛がよだつほど悲しくなり、次に表白を読み上げますと心臓の鼓動が速くなり、胸が張り裂けそうになります。そして涅槃図に香や花のお供えをして仏菩薩はもちろんのこと、猛獣や羅刹に至るまで遍く供養します。これは猛獣や羅刹達が釈尊の最後の説法を聞いたことを尊敬申し上げるからです。釈尊涅槃の悲しみを申し上げると、我が身はまるで遥か遠いクシナ城のサラ林・跋提河にまで至るようで、釈尊涅槃の遺跡を目の当たりにしているような心地さえします。本当に涅槃講式を聞き、涅槃図を拝みますと、釈尊涅槃の悲しみが一層増してきます。

 釈尊の涅槃の御様子を書いている『大般涅槃経』などの経典類をひも解くと、「さんずい」や「口へん」のついた文字がたくさん出てきます。これは菩薩や声聞が涅槃の悲しみに泣き叫んでいる様子や、猛獣や羅刹が涙を流している様子をあらわしているそうです。
 とするならば、『大般涅槃経』に出てくる「さんずい」は悲しみの涙があたかも周囲五由旬という広い地を膝まで浸す大河になった姿であり、「口へん」はまるで大衆の泣き声がこの三千大千世界を震わすほど響きわたっているかのようです。この涅槃講式を開くたびに涅槃の悲しみの気持ちが起り、字を見れば悲しみの涙を抑えがたいものをどうすればよいのでしょうか!
 
 どうして上手な説法を聞いたから釈尊を恋い慕う気持ちが生まれたと言えるでしょうか。どうして詳しく考え納得したから釈尊を崇拝する気持ちが生まれたと言えるでしょうか。違います!そのような説法や考察に関係なく釈尊を恋慕渇仰するのです!

 ああ、皆さん悲しみの涙をぬぐって、いろいろな心の悩みを抑えて、伽陀を唱えて礼拝しようではありませんか!

 (伽陀) 今まさに涅槃に赴く、
      釈尊の最後の姿を拝ませていただきました!
      沙羅双樹の下で、
      生きとし生けるものをお救い下さるのです!

 インド国クシナ城は跋提河のほとり、大恩教主釈尊が涅槃に入られたサラ林を礼し帰依致します。


≪ 語 句 解 釈 ≫
【声聞】 (しょうもん) 仏の教えを聞いて修行し悟る人
【瞻仰】 (せんごう) 尊み仰ぐ・仰いで尊敬恭敬する・みたてまつる
【且つ】 (かつかつ) 早くも・真っ先に
【啓白】 (けいひゃく) 「表白」と同義。法会の初めにこれから行われることについて本尊に申し上げること
【心府】 (しんぷ) こころ
【驟く】 (うぐつく) はやい・はしる
【法式】 (ほっしき) ここでは四座講式を読む法会、つまり常楽会のこと
【聖教】 (しょうぎょう) 仏の教え・仏の言葉・経典類
【涕涙至于膝周迊五由旬】 (ているいしうしつしゅうそうごゆじゅん) 竺法護訳『佛説方等般泥洹経』にある「悲哀皆啼泣 最後見世尊 諸天龍之類 周匝五由旬 涕流至于膝 除餘諸人民 難頭和難龍 六十億龍倶 皆來共啼哭 最後見世尊」からの引用 
【由旬】 (ゆじゅん) インドの距離の単位
【三千界】 (さんぜんがい) 「三千大千世界」のこと。古代インド人の世界観による全宇宙
智辯】 (ちべん) 自在に説法する働き、転じて上手な説法
【料簡】 (りょうけん) 考察検討すること・考えて選び分別すること
【憂悩】 (うのう) 心の悩み
【次往涅槃処 感仏最後身 於此雙林下 利益群生類】 菩提流支訳『大宝積経』巻第二 三律儀会第一之二の偈文からの引用