涅槃講和讃 その二

≪ 原 文 ・ 現代語訳 ≫ 僧伽梨衣を脱去て(ぬぎさけて) 釈尊が大衣を脱ぎ捨てて 紫磨の色身見せしより 紫金色の肉体をお見せになってから 三千界(さんぜんがい)の地(ぢ)の上に この三千世界の大地から 八十種好(しゅごう)かくれにき 八十の優れた特徴…

涅槃講和讃 その一

≪ 原 文 ・ 現代語訳 ≫ 如来化導事おへて 釈尊の一代八十年のお導きが終わってしまい 婆羅林樹に隠れしに サラ林にて入滅されてしまったので 衆生の明眼(みょうげん)消はてて 暗闇の私達を導いて下さる燈明が消えてしまい 長夜(じょうや)の闇ぞいと深き …

涅槃講式 第五段 廻向段

≪ 原 文 ≫ 第五に発願廻向といっぱ、願わくは、この恋慕渇仰の善根(ぜんごん)をもって、必ず見仏聞法(もんぼう)の大願(だいがん)を成就せん。 それ仏に出没(しゅつもつ)なし。隠顕は縁に従う。閻浮界(えんぶかい)の中には入滅の化儀を示せども、他…

涅槃講式 第四段 そのニ

「涅槃講式 第四段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20120130/1327908075≪ 原 文 ≫ 今、双林涅槃の像を拝見するに、如来頭北面西にして臥し、大衆前後左右に遶(めぐ)れり。師子虎狼、猛悪の威を収め、菩薩声聞、悲啼の貎を低(た)れたり。 先づ瞻…

涅槃講式 第四段 その一

≪ 原 文 ≫ 第四に双林の遺跡(ゆいせき)を挙ぐといっぱ、我等滅後の悲(かなしみ)に泣く。何の時にか見仏の幸に咲(え)まん。哀悲の剰(あまり)に、嫉(そねみ)を中天の禽獣に懐き、恋慕の至に、恨を辺地(へんじ)の人身(にんじん)に遺(のこ)せり。…

京師櫟谷七野神社之事

「京師賀茂祭之事 後篇」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110518/1305719658 葵祭の記事で少しふれた櫟谷七野神社ですが、先日京都に行った際にひょんなことから訪ねてきました。 …とその前に訂正です。前回の葵祭巡行路の地図は現在の京都御所の位置から…

河原林雄太陸軍少尉の履歴書 前篇

福岡縣士族 元小倉縣 河原林雄太 嘉永元年(1848)八月十五日生明治三年七月十五日(1870) 常備五番小隊半隊長被申付 豊津藩 同年八月一日 東京為御警備上京外櫻田日比谷両御門警衞被申付 豊津藩 明治四年(1871)四月五日 歸藩被申付 豊津藩 同年五月十六…

涅槃講式 第三段 その二

「涅槃講式 第三段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110529/1306674252≪ 原 文 ≫ 鞞瑟(びしゅ)長者不滅度際の法門の体(たい)を説いて云く。普く十方一切世界去来今(きょらいこん)の仏を見るに、涅槃したもう者なし。衆生を化する方便の滅度…

涅槃講式 第三段 その一

≪ 原 文 ≫ 第三に、涅槃の因縁を挙ぐといっぱ、夫如来は般若の翅(つばさ)を扇(あお)いで、生死(しょうじ)の雲を払(はろ)うと雖も、大悲の鏁(くさり)に縈(まつわ)れて、未だ衆生の手を免れたまわず。火宅に還って嬉戯(きけ)の稚子(ちし)を誘…

京師賀茂祭之事 後篇

「京師賀茂祭之事 前篇」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110516 賀茂祭は京都の大学生にとっては印象深いお祭りです。…行列のバイトがあるからです。私自身はしたことがありませんが、友達は何人かやっておりました。 ですが、主役たる「斎王代」(古来の…

京師賀茂祭之事 前篇

昨日は五月十五日、賀茂祭(通称「葵祭」ですが正式には「賀茂祭」です)の路頭の儀・社頭の儀が無事奉修されたようです。 私もかつて京師に遊学していた頃、一度だけ見に行きました。もう七年程前の話ですのでほとんど覚えていませんが…しかし、その後賀茂…

京師知恩院之事

長く京都に逗留してました。 今回縁あって知恩院(浄土宗総本山)に数日通いましたが、三門から男坂通って伽藍に辿り着くまでキツイのなんの。 今年は法然上人の八百年御遠忌(本来春の予定でしたが秋に変更になりました)ということで、国宝三門の二層目部…

涅槃講式 第二段 その二

「涅槃講式 第二段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110412/1302616164≪ 原 文 ≫ 時に大迦葉(だいかしょう)、荼毘の所に至るに、聖棺自然(じねん)に開(ひら)けて、千帳(せんちょう)の白氎(びゃっじょう)及び兜羅綿(とらめん)、皆解散…

備後尾道記

松山からしまなみ海道を通って尾道へ行きました。しまなみは5年ほど前に一度通ったことがありましたが、尾道は初めてです。 国宝・浄土寺多宝塔です。鎌倉時代の嘉暦三年(1328)建立の多宝塔で日本屈指の名塔です。 日本の国宝指定されている多宝塔は実に…

涅槃講式 第二段 その一

≪ 原 文 ≫ 第二に荼毘の哀傷を挙ぐといっぱ、青蓮咲(えみ)を止(や)め、菓唇息絶えし時、白氎(びゃっじょう)に纏絡(でんらく)し、金棺に収斂す。 一切の大衆(だいしゅ)、聖棺を挙げて、城(じょう)の内に入らんとするに、十六の極大力士(りきじ)…

松田真平氏「野中寺弥勒菩薩像の銘文読解と制作年についての考証」 後編

前篇では研究史を扱いましたが、今回は本題の松田氏の論文です。 前篇http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110402/1301747017松田真平氏「野中寺弥勒菩薩像の銘文読解と制作年についての考証」(『佛教藝術』313号 2010年11月)佛教藝術 313号作者: …

涅槃講式 表白・初段 校勘記

本日は四月八日。仏生会、俗に言う花まつりです。 このように大変な世相ではありますが、仏教徒としてお釈迦様の誕生を寿ぎたいと思います。 誰れか歓喜の咲(えみ)を藍園の誕生に含み、痛惜の涙を双林の入滅に流さんや。 これは涅槃講式表白段の一節です。…

涅槃講式 初段 その四

「涅槃講式 初段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110330/1301491947 「涅槃講式 初段 そのニ」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110401/1301660527 「涅槃講式 初段 その三」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110403/1301806825≪ 原 文 ≫ 青蓮…

豫州松山記

この春の佳き時節に伊予は松山に旅行に行ってまいりました。 春や昔 十五万石の 城下哉 子規 この句の通り伊予松山久松松平家、十五万石の城下町です。 早朝の湯築城址から松山城を望む 湯築城はかつて伊予を治めた河野氏の本拠だった所です。その治世は平安…

涅槃講式 初段 その三

「涅槃講式 初段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110330/1301491947 「涅槃講式 初段 そのニ」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110401/1301660527≪ 原 文 ≫ 漸く中夜に属(しょく)して、涅槃時到れり。満月の容(こおばせ)に哀恋の色を含み、…

松田真平氏「野中寺弥勒菩薩像の銘文読解と制作年についての考証」 前篇

今回紹介したい論文は松田真平氏「野中寺弥勒菩薩像の銘文読解と制作年についての考証」(『佛教藝術』313号 2010年11月)です。 佛教藝術 313号作者: 佛教藝術學會出版社/メーカー: 毎日新聞社発売日: 2010/12/01メディア: 単行本 クリック: 8回こ…

涅槃講式 初段 その二

「涅槃講式 初段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110330/1301491947 「涅槃講式 初段 そのニ」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110401/1301660527≪ 原 文 ≫ 遂に則ち、力士生地娑羅林の間にして、面門の光を二月十五の朝(あした)に放って、最…

三車火宅の譬え

四座講式には「火宅」という言葉がよく登場します。これは『法華経』の中でも一、二を争う有名な逸話「三車火宅の喩え」に由来します。私『法華経』には暗いもので難しい事はわかりませんが、この喩えは大好きです。 【火宅】(かたく) 煩悩と苦しみに満ち…

涅槃講式 初段 その一

≪ 原 文 ≫ 第一に入滅の哀傷(あいしょう)を顕すといっぱ、凡そ如来一代八十箇年、迦韋(かい)誕生 伽耶(がや)成道 鷲峰(じゅぶう)説法 双林入滅、皆大慈大悲より起り、悉く善巧(ぜんぎょう)方便より出でたり。 歓戚(かんしゃく)の化儀、区(まち…

四座講式と常楽会の組み立て

さて、涅槃講式表白段をアップしましたが、「伽陀」とか表白段とかそもそも「四座」とは何か?について説明します。この際、四座講式をお唱えする法会「常楽会」(涅槃会ともいう)の次第(プログラム)を紹介します。尚、この次第はおそらく日本で唯一四座…

涅槃講式 表白

≪ 原 文 ≫ (伽陀) 拘尸那城跋提河 在娑羅林双樹下 頭北面西右脇臥 弐月十五夜半滅 南無大恩教主釈迦牟尼如来生々世々値遇頂戴 敬って大恩教主釈迦牟尼如来、涅槃遺教八万聖教、娑羅林中五十二類 一々微塵毛端刹海 不可説不可説(ふかせっぷかせっ)の三宝…

「四座講式」現代語訳と解釈に際して

今回四座講式を現代語訳し解釈するにあたって、底本として大栗道栄師編の「四座講式」を用います。また大正新脩大蔵経テキストデータベースの「四座講式」を参考にします。 大栗師の『四座講式物語』を参考にしますが、師の訳はなるべく平易にわかりやすくつ…

四座講式と明恵上人

四座講式とは鎌倉時代初め京都栂尾高山寺の明恵上人によって造られたお釈迦様の一代記です。 この講式に独特の節をつけて(声明)お唱えするのですが、これは謡曲・浄瑠璃・長唄の元になったものとされるほど優美な音動を持ちます。明恵上人は承安3年(1173…

開白

日々思うことや感じたことを備忘録として残していきたいと思います。とりあえずは現在少しずつ進行している四座講式の現代語訳と解釈をアップしていけたら…と考えています。