涅槃講式 第四段 その一

≪ 原 文 ≫

 第四に双林の遺跡(ゆいせき)を挙ぐといっぱ、我等滅後の悲(かなしみ)に泣く。何の時にか見仏の幸に咲(え)まん。哀悲の剰(あまり)に、嫉(そねみ)を中天の禽獣に懐き、恋慕の至に、恨を辺地(へんじ)の人身(にんじん)に遺(のこ)せり。仍て聊か双林の砌を像(おもいや)って、憖(なまじい)に愁歎の息を憩めん。

 拘尸那城の西北、跋提河の西岸に娑羅林あり。その樹槲(こがしわ)に似て、皮は青く葉は白し。四樹特(こと)に高し。如来寂滅の所なり。
 経に云く。
 大覚世尊涅槃に入り已りたもうに、その娑羅林、東西二双合(がっ)して一樹となり。南北の二双合して一樹となる。宝床に垂り下って、如来を覆陰(ふおん)す。その樹惨然として変じて白し。猶し白鶴の如し。枝葉花菓瀑裂堕落(ぼれっだらく)して、漸々に枯衰す。摧折して余なし と。
 或記に云く。
 その樹高さ五丈、下の根は相連り、上の枝は相合して、連理せるに相似たり。その葉豊欝(ぶうつ)にして、花車輪の如し。菓(このみ)大きにして瓶の如し。その味(あじわい)甘きこと蜜の如しと。

 摩耶夫人天より降って如来に哭せし処、執金剛神、地に躄れて金杵を捨てし跡。かくのごとくの遺跡、連々隣次せり。
 城の北、河を渡って三百余歩して、如来焚身の処あり。地今に黄黒なり。土に灰炭雑(まじわ)れり。誠を至して求請(ぐしょう)すれば、あるいは舎利を得。

 かの燈法師(とうほっし)の如きは、流沙の広蕩たるを渉(わた)り、雪嶺の嶔峯を陟(こ)えて情(なさけ)を六親に辞し、命を双林に終えき。見る人悲涙を流し、聞く者哀傷を催す。

≪ 現 代 語 訳 ≫
 第四にサラ林中での釈尊入滅の御様子を偲んでみましょう。私達衆生釈尊の入滅を思うだに、その悲しみに涙がこぼれます。私達も釈尊のいらっしゃった頃に生まれて、その御尊顔を拝す喜びを得たかった!悲しみのあまりに、かのインドの地で釈尊にお会いできた動物にさえ嫉妬し、恋しさのあまりに、私達がこの辺境の日本に生まれたことを恨み無念にさえ思ってしまいます。ですからその恋しく無念な気持ちをくんで、せめてサラ林での釈尊涅槃の御様子に思いを馳せて、少しは歎きを慰めましょう。

 クシナ城の西北、跋提河の西の岸にサラの林がありました。サラの樹はカシワの樹に似ていて、木の皮は青く白い葉をつけます。四本のサラの樹は特に高い樹で、この四本の樹の間が釈尊涅槃の場所です。
 『大般涅槃経後分』にはサラの樹について次のようにあります。
 「大いなる悟りを開いた釈尊が涅槃に入り息を引き取った時、四本のサラの樹は東西の二本の樹が垂れ下がって交叉し一本の樹となり、また南北の二本の樹も垂れ下がり交叉して一本の樹となりました。そのサラの樹は釈尊の伏した床に垂れ下がって釈尊の御体を覆ってしまいました。サラの樹は無惨にも白く枯れてしまいまるで白い鶴のようです。枝も葉も花も実もすべて枯れ落ちて、だんだんに木が枯れてゆき、ついに全て倒れ果ててしまいました」
 また『大般涅槃経疏』にも次のようにあります。
 「サラの樹の高さは五丈(約15メートル)もあり、木の根は合わさり、上の方の枝は垂れ下がって交叉して一つになっているようです。葉は鬱蒼と茂り、花は大きく車輪のように咲きます。果実は大きくて瓶のようで、甘くて蜜のような味がします」

 サラ林には釈尊涅槃を聞いて、お母様である摩耶夫人が忉利天から降りてこられて釈尊との別れを嘆いた場所や、執金剛神が悲しみのあまり大地に倒れて、持っていた金剛杵を投げ捨てた所といった遺跡が随所にあります。
 クシナ城の北、跋提河を渡って三百歩ほど歩いた所に、釈尊を荼毘に付した所があります。地面は今もなお黄黒色で、土には灰や炭が交っているそうです。真心を尽くして供養し、釈尊におすがりすれば、或は仏舎利を得ることが出来るかもしれません。
 
 かの唐の大乗燈法師は広大な流沙を渡り、ヒマラヤのように高く聳え立ち雪に閉ざされた険を越えて、親兄弟・縁者に今生の別れを告げてインドへ求法し、ついにクシナ城のサラ林でその命を終えました。大乗燈法師の最期を知る者は悲しみの涙を流し、その話を聞いた者は哀れに思ったものです。

≪ 語 句 解 釈 ≫
【双林】 (そうりん) 沙羅双樹のこと。鶴林・堅固林ともいう
【中天】 (ちゅうてん) ここでは中天竺の略。即ちインドのこと
【辺地】 (へんじ) 辺鄙な地・偏った土地(インドに対して中国を言う)この場合は日本のこと
【人身】 (にんじん) 人の身・人間としての身体
【憖に】 (なまじいに) 気がすすまないのにつとめて・しなくてよいのに無理して
【愁歎】 (しゅうたん) なげき悲しむこと
【拘尸那城】 インドの北部クシナガラのこと 釈尊が前世に王としてこの地を治めていた因縁で入滅の場所となった
【跋提河】 (ばつだいが;声明では「ばっだいが」)ガンジス川の支流
【娑羅林】(しゃらりん) 沙羅樹の林。クシナガラ釈尊入滅の地のこと
【槲】 (こがしわ) カシワのこと・日本では栢・檞の字もあてる
【大覚世尊涅槃に入り已りたもうに…】唐・若那跋陀羅訳『大般涅槃経後分』にある「大覺世尊入涅槃已。其娑羅林東西二雙合爲一樹。南北二雙合爲一樹。垂覆寶床蓋於如來。其樹即時慘然變白猶如白鶴。枝葉花果皮幹悉皆爆裂墮落。漸慚枯悴摧折無餘。」からの引用
【大覚】 大いなる悟りを開いた人・仏のこと
【その樹高さ五丈、下の根は相連り…】『大般涅槃経疏』にある「娑羅雙樹者。此翻堅固。株四方八株。悉高五丈。四枯四榮。下根相連上枝相合。相合似連理。榮枯似交讓。其葉豐蔚。華如車輪。果大如缾。其甘如蜜。色香味具。」からの引用
【連理】 (れんり) 一樹の枝が他の木と連なって一つになること
【摩耶夫人】 (まやぶにん・梵:Maha-maya) 釈尊の母親。涅槃図では忉利天から降りてくる様子が描かれる
【執金剛神】 (しゅうこんごうじん)「密迹力士」と同義。金剛杵を持って仏を護衛する神
【金杵】 (きんしょ) 金剛杵のこと。古代インドの武器で堅固であらゆるものを打ち砕く
【燈法師】 (とうほっし) 唐代の僧、大乗燈のこと。義浄の『南海寄帰内法伝』・『大唐西域求法高僧伝』にその名が見える。『大唐西域求法高僧伝』によると、愛州(現在のベトナム北部・ハノイ周辺)出身で、梵名:莫訶夜那鉢地已波。幼少の時に中国に入り玄奘の弟子となり、その後インドへ求法の旅に出て、クシナガラの涅槃寺で没した。
【広蕩】 (こうとう) 広く大きな
【嶔峯】 (きんぽう) 高くそびえる峰

「涅槃講式 第四段 そのニ」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20120131