涅槃講和讃 その二

≪ 原 文 ・ 現代語訳 ≫

僧伽梨衣を脱去て(ぬぎさけて)     釈尊が大衣を脱ぎ捨てて
紫磨の色身見せしより          紫金色の肉体をお見せになってから
三千界(さんぜんがい)の地(ぢ)の上に この三千世界の大地から
八十種好(しゅごう)かくれにき     八十の優れた特徴を持つ釈尊はお隠れになってしまいました
恨しきかな我こころ           ああ、本当に恨めしい限りです
などかは過去の佛世にて         なんとか釈尊がこの世にいらっしゃった頃に戻って
佛語に随ひ修行して           釈尊の教えに従って修行し
大利を得る事なかりけむ         この上ない悟りを得たいものです
過去は過去とてさて過ぬ         とはいっても過去は過去でもう戻れません
未来は未来遥かなり           また未来は未来で遥か遠いのです
現在はげむ事なくは           とすれば今生きているこの世で一生懸命に修行しなければ
生死の出期(しゅっご)なかるべし    この苦しい輪廻からは解放されないのです
我等は生死の凡夫にて          私達は輪廻の世界に生きる愚か者ですので
一句一偈の縁あれど           釈尊の有り難いお言葉を片言に聞く御縁は有りましても
解脱の道を隔てつつ           とても悟りの道へは近付くことができませんで
かへりて三途に入ぬべし         かえって地獄や餓鬼畜生といった悪い道に落ちてしまいます
但し心に頼むべし            しかし一心に釈尊をお慕いするべきです
釋迦の名号聞つれば           釈尊の御名を聞けば必ず
いまだ發心せざれども          まだ悟りを求める心を起していなくても
菩薩種性(しゅじょう)に定まりぬ    菩薩の修行を積み悟りを得る種を植え付けられるのです
釋迦の讃嘆(さんだん)聞人は      釈尊を褒めたたえるこの講式を聞いた人は
寿盡の時に至るには           天寿を全うした暁に
佛みづから現前し            釈尊がおんみずからお出ましになり
浄土の道をぞ教へける          浄土へと至る道を教えて下さるでしょう
今はかへりて願楽し           さあ今は我が身を振り返って悟りを求め願い
是を生死の終(おわり)とし       今のこの生を輪廻の終わりとして
安養界(あんにょうかい)に往生し    必ず極楽浄土に往生して
弥陀の聖化に漏ざらん          阿弥陀仏のお導きに与ろうではありませんか!
如来涅槃諸功徳             釈尊の涅槃の諸々の功徳は、
甚深広大不可量             あまりに深くあまりに広く量ることのできないほどです。
衆生有感無不応             私達衆生釈尊を頼る心さえあれば必ず釈尊は応じて下さり、
究竟令得大菩提             この上なく有り難い悟りが得られるのです!

≪ 語 句 解 釈 ≫
【僧伽梨衣】(そうがりえ) 大衣・重衣とも・三衣の一つ・九条あるいは二十五条の袈裟。説法・托鉢の時につける
【色身】(しきしん) 肉身・肉体 姿かたちを持った仏の身体
【三千界】(さんぜんがい) 「三千大千世界」のこと。古代インド人の世界観による全宇宙
【八十種好】(はちじゅうしゅごう) 釈尊の面相の特徴
【佛世】(ぶつせ) 仏在世・仏のまします国
【出期】(しゅつご・声明はしゅっご) 生死の苦しみを出離する期限
【凡夫】(ぼんぷ) 愚かな人・一般の人たち
【三途】(さんず) 地獄・餓鬼・畜生の三悪道のこと
【名号】(みょうごう) み名・尊号
【發心】(ほっしん) 求道の念をおこすこと・悟りの智慧を得ようとする志を得ること
【菩薩種性】(ぼさつしゅじょう) 菩薩の修行を積んで必ず悟りに到達できる者
【種性】(しゅじょう) 修行する人の素質・悟りを開く素質
【讃嘆】(さんだん) 褒め讃えること・偈頌等で仏の徳を讃えること
【願楽】(がんぎょう) 知ろうと欲すること・願うこと
【安養界】(あんにょうかい) 阿弥陀の浄土・極楽
【聖化】(しょうけ) 優れた天子が人民に及ぼす仁愛の力