涅槃講式 第五段 廻向段

≪ 原 文 ≫

 第五に発願廻向といっぱ、願わくは、この恋慕渇仰の善根(ぜんごん)をもって、必ず見仏聞法(もんぼう)の大願(だいがん)を成就せん。

 それ仏に出没(しゅつもつ)なし。隠顕は縁に従う。閻浮界(えんぶかい)の中には入滅の化儀を示せども、他方刹の内には生身の説法あり。機に契って虧盈(きよう)を施す。日月の四州に出没するがごとし。物に任せて生滅を現ず。衆星(しゅしょう)の昼夜に隠顕するに似たり。

 いま恋慕の声を挙げて無余の空を響かし、悲歎の息を放って、涅槃の窓を叩く。教主釈尊は円寂の室(むろ)を出で、身子(しんじ)目連は大悲の門に趣く。星のごとくに馳せ、雲のごとくに集まる。華厳海会は虚空に住し、霊山聖衆は大地に満てり。証明(しょうみょう)何そ疑わん。知見何そ空しからん。何(いかに)況うや色身 法界に融ず、観智これ仏世なり。体性 実際を極む。機縁これ道場なり。
 
 ここに、大願の船を荘(かざ)って、恋慕の涙(なんだ)に浮べ、正信の帆を挙げて、渇仰の息に馳す。生死苦海は無念の朝(あした)の径、涅槃彼岸は無生の暮(ゆうべ)の棲んなり。その中間 近悪伴儻障(ちうげんごんなくばんとうしょう)を離れて、諸仏菩薩を友とし、不聞正法障(ふもんしょうぼうしょう)を捨てて、無上大法を心とせん。

 乃至(ないし)現当二世、所願円満、鉄囲沙界(てちいしゃかい)、平等利益。
 
 仍て伽陀を唱え礼拝を行ずべし。


(伽陀)如来涅槃諸功徳
    甚深広大不可量
    衆生有感無不応
    究竟令得大菩提

 南無娑羅林中最後寂滅紫金妙体


≪ 現 代 語 訳 ≫
 第五にこの功徳を以って廻向を志します。願わくは釈尊を恋い慕う正しい気持ちをくんで頂いて、どうか必ず釈尊にお会いして説法を聞かせて頂きたいという大きな願いを成就させて下さい。
 
 そもそも仏には生まれるとか亡くなるということは無く、いつでもこの世にいらっしゃるのです。しかし仏が見えたり見えなかったりするのは、その人その人の縁によるのです。私達のいるこの世では釈尊は入滅するというお導きを現わしましたが、仏の世界では生きたお姿で説法されているでしょう。仏はそれぞれの人の機根に応じて月の満ち欠けのように、この世に現れたり消えたりするのです。それはまるで太陽や月が見えたり見えなかったりするようなものです。つまり仏は私達の心の動きによってお出ましになったりお帰りになったり移り変わっていくのです。例えれば星が昼間は見えなくても夜になればきれいに見えるようなものです。

 今釈尊を恋い慕う大きな声は無余涅槃の空に響き渡り、私達の悲しみ歎く吐息は涅槃の境地に達した釈尊にも届かんばかりです。さあ大恩教主釈尊は悟りの世界からお越しになり、弟子の舎利弗尊者・目連尊者も釈尊の慈悲のみもとに集まってきました。まるで星のように速く、雲のように多くたくさんの人々が釈尊の説法に集まって参りました。『華厳経』の教えを聞こうとする多くの人々は虚空に遍在し、『法華経』の教えを聞こうとする人々はこの大地に溢れています。釈尊が証し明かして下さった教えをどうして疑う事があるでしょうか!釈尊のお考えがどうして空しい事がありましょうか!ましてや釈尊の肉体は大宇宙の真理と一体であり、釈尊智慧はそのまま仏のまします国へと誘ってくれます。釈尊の涅槃こそが究極の悟りのお姿なのです。釈尊の教えに出会った時が悟りへの修行のはじまりなのです。

 ここに悟りへと向かう誓願の船を仕立てて、釈尊を恋い慕う涙の海に浮かべて、仏法を信じる力を帆として、釈尊の徳を追い求めて駆け回るのです。生をうけたものは必ず死ぬというこの苦しみの海を進んでいくのも、ひいては妄念の無い悟りの境地へ通じる道であり、その道を進んで最後には住処である空の境地に達した涅槃という悟りの岸に戻っていくのです。とすると、ちょうど今この世とあの世の間に生きている私達は、悪い友と遊ぶ害から離れて、仏や菩薩を心の友として正しく生活せねばなりませんし、正しい教えを聞こうとしない心を捨てて釈尊の徳この上ない教えを肝に銘じなければなりません。
 
 重ねてお願い致します。今この世から来世に至るまで願う所が成就し、この世界に住む者が皆平等に仏の利益に与りますように。
 
 さあ、一緒に伽陀を唱えて釈尊に礼拝しようではありませんか!

(伽陀)釈尊の涅槃の諸々の功徳は、
    あまりに深くあまりに広く量ることのできないほどです。
    私達衆生釈尊を頼る心さえあれば必ず釈尊は応じて下さり、
    この上なく有り難い悟りが得られるのです!

 サラ林の中で涅槃に赴かれようとする釈尊の紫金色の御身体を礼し帰依致します。


≪ 語 句 解 釈 ≫
【発願廻向】 (ほつがんえこう) 願をおこして廻向すること
【廻向】 (えこう) 悟りに向かって進む・善行功徳を悟りに向かって廻らすこと
【善根】 (ぜんごん) 善行・良い報いをうくべき業因
【聞法】 (もんぼう) 仏の教えを聞くこと
【閻浮界】 (えんぶかい) 「閻浮提」に同じ・仏教の世界観で須弥山の南方にある大陸・私達の住んでいる所・この世
【他方刹】 (たほうせつ) 仏の世界
【生身】 (しょうじん) 釈尊の生まれながらの身体・肉身
【虧盈】 (きよう・きえい) 月が欠けることと満ちること
【四州】 (ししゅう) 仏教の世界観で須弥山の四方の海にある四大洲(南贍部洲・東勝身洲・西牛貨洲・北倶盧洲)のこと、転じて全世界のこと
【円寂】 (えんじゃく) 全ての無知と私欲を除いた悟り
【身子】 (しんじ) 釈迦十大弟子の一人である舎利弗のこと・「智慧第一」と称される
【目連】 (もくれん) 釈迦十大弟子の一人・「神通第一」と称される
【華厳海会】 (けごんかいえ) 海印三昧に同じ・仏が『華厳経』を説いた時に入った三昧で過去・現在・未来の一切のものが心中に現れる
【海会聖衆】 (かいえしょうじゅう) 多くの聖者たちの集まり
【霊山】 (りょうぜん) 霊鷲山のこと・王舎城の東北にあり釈尊が『法華経』を説いた場所
【証明】 (しょうみょう) 真実であることを証し明かすこと
【知見】 (ちけん) 智慧によって見ること・知識にもとづいた見解
【法界】 (ほっかい) 世界・宇宙・真理そのものとしての仏陀
【仏世】 (ぶつせ) 仏在世・仏のまします国
【体性】 (たいしょう) 体は実体・本体、性は体が不変であること・本性
【実際】 (じっさい) 究極の根拠・存在の究極的すがた
【機縁】 (きえん) 動機と心構え・機会・修行者が仏や師の導きに接しえた因縁
【道場】 (どうじょう) 修行の場所・悟りの場所
【大願の船】 (だいがんのふね) 衆生を救い悟りの岸へと運ぶ仏の本願を船に例えた語
【正信】 (しょうしん) 正しい信仰・仏法を信じる力
【無念】 (むねん) 妄念のないこと・とらわれのない正しい念慮
【無生】 (むしょう) 空
【中間近悪伴儻障】 (ちゅうげんごんあくばんとうしょう) 『華厳経』巻第三十三普賢菩薩行品第三十一にある様々な修行の差障りの一つ「佛子。菩薩摩訶薩。起瞋恚心。則受百千障礙法門。何等百千。所謂受不見菩提障。不聞正法障。生不淨國障。生惡道障。 生八難處障。多疾病障。多被謗毀障。生闇鈍趣障。失正念障。少智慧障。眼耳鼻舌身意等障。近惡知識障。近惡伴黨障。」
【悪伴】 (あくばん) 悪い友
【不聞正法障】 (ふもんしょうぼうしょう) 同じく『華厳経』に出てくる修行の差障りの一つ
【乃至】 (ないし) 甲から乙に至るまで・すなわち・甲と乙の中間
【現当二世】 (げんとうにせ) この世と来世にわたる幸せの祈り
【現当】 (げんとう) 現世と当来世
【所願】 (しょがん) 願う所・願い
【鉄囲】 (てちい) 鉄囲山のこと・仏教の世界観で最も外側にある鉄でできた山で外側が閻浮提・即ち私達の住む世界のこと
【沙界】 (しゃかい) 恒河沙(数が多い喩え)の世界
【平等利益】 (びょうどうりやく) 平等に益すること
【甚深広大不可量】 法蔵著『法華経探玄記』巻第十六 佛小相光明功徳品第三十に同じ表現がある
衆生有感無不応】 唐・若那跋陀羅訳『大般涅槃経後分』巻下 機感荼毘品第三の偈文からの引用