涅槃講式 初段 その一

≪ 原 文 ≫ 
 第一に入滅の哀傷(あいしょう)を顕すといっぱ、凡そ如来一代八十箇年、迦韋(かい)誕生 伽耶(がや)成道 鷲峰(じゅぶう)説法 双林入滅、皆大慈大悲より起り、悉く善巧(ぜんぎょう)方便より出でたり。
 歓戚(かんしゃく)の化儀、区(まちまち)なりと雖も、みな利生の縁に非ざること無し。然れども初生之我当度脱三有苦の唱(となえ)には、火宅の諸子且(かつが)つ梵焼の苦を息(やす)めき。滅度の従今(じうこん)以後、無再見の告(つげ)には、苦海の溺子、倍(ますます)哀恋の涙に漂う。経に云うが如し。

 仏、阿難に告げたまわく。如来久しからずして後、十五日あって、当に般涅槃(はんねはん)すべし。その時に夜叉大将あり般遮羅(はんじゃら)と名づく。百万億(のく)の夜叉衆等と与に、同時に声を挙げて悲泣(ひきゅう)して、涙(なんだ)を雨(ふ)る手をもって、涙(なんだ)を収めて、偈を説いて言さく。
 
 世尊金色光明の身 功徳荘厳満月の面 眉間白毫殊特(しゅどく)の相。我今最後に帰命して礼したてまつる と。

 諸天八部の悲泣雨涙も、亦復(またまた)もってかくの如し。 

 先だって涅槃必定の告(つげ)を聞くに、大衆追恋の苦(くるしみ)に堪えざりき。況(いおう)や居諸屡(しばしば)転じ、三五の運数已に迫っし時、如来も哀恋の粧(よそおい)を示し、大衆も最後の思(おもい)を作しき。その中心(ちうじん)の悲歎何物をか喩えと為んや。


≪ 現 代 語 訳 ≫ 
 まず第一に釈尊入滅の悲しみの様子を明らかにいたしましょう。そもそも釈尊の一生入滅までの八十年間を振り返ると、カピラ城で御誕生し、ブッヤガヤの菩提樹下で悟りを開き、鷲峰山で説法をされ、クシナガラのサラ林で入滅されました。これらの御事績はみな釈尊の広大無辺の慈悲の心から起こったことで、全ては「人間は誰でも仏になれる!」ということを示す方便だったのです。
 釈尊のご誕生や悟りを開かれたといった喜ばしい事によるお導きと、また入滅のような悲しい事によるお導き、喜憂まったく別のこととはいえ、全て衆生を救うためのご縁には違いないのです。とはいえ、『華厳経』にあるように生まれたばかりの釈尊が「私は必ず衆生をこの世に生きることのあらゆる苦しみから解放し仏の世界へと導く!」と宣言されたことは、猛火に襲われる家に住んでいるがごとく煩悩と苦しみに満ちたこの世の生きる我々も、本当にその苦しみを逃れたものでした。入滅の後、もう釈尊に会うことが出来ないという予告を聞くと、この世という苦しみの海に溺れる我々はますます悲しみの涙にむせぶのです。その様子は『蓮華面経』に次のようにあります。

 釈尊は阿難尊者に「私の命はもう長くない。二月十五日には入滅して涅槃に入るだろう」とおっしゃりました。その時に仏法を守護する夜叉の大将であるハンジャラが百万億もの多くの夜叉とともに、同時に大声を挙げて涙を流して泣き叫びました。やがて涙の流れる手で両目をぬぐい、偈文を申し上げたのです。

  釈尊は金色に光り輝いた体で 満月のように欠けることなく功徳にみちたお顔
  眉間には尊いお姿である白毫を備えられている この有り難い最後の御姿に心から帰依し礼拝させていただきます

 諸々の天部・夜叉・鬼神の悲しみの涙にくれる様子もまたこのハンジャラのようでした。
 
 先に涅槃に入られる予告を聞いただけでも、大衆は悲しみにと苦しみに耐えることができませんでした。ましてや時間がたつにつれて、いよいよ十五日運命の日が迫ってきた時、釈尊も悲しげなご様子で、大衆もいよいよ最後の時が来たと悲しみが深くなります。その心の奥底の悲しみの深さは、何によっても例えることができません。


≪ 語 句 解 釈 ≫
【哀傷】(あいしょう) 人の死などを悲しみいたむこと
【迦韋誕生】(かいたんじょう) カピラ城で釈尊が誕生されたこと
伽耶成道】(がやじょうどう) ブッタガヤの菩提樹の下で釈尊が悟りを開かれたこと
【鷲峰説法】(じゅぶせっぽう) 鷲峰山で釈尊が説法されたこと
大慈大悲】(だいじだいひ) 仏の広大無辺の慈悲
【善巧】(ぜんぎょう) 方便に巧みなこと 巧みな教導
【歓戚】(かんしゃく・かんせき) 喜びと悲しみ
【化儀】(けぎ) 教化の方法
【利生】(りしょう) 衆生を利益すること 人々を救うこと
【初生】 初めて生まれた時
【我当度脱三有苦】(がとうどだつさんぬく)『華厳経』金剛幢菩薩十迴向品にある釈尊が誕生してすぐに唱えられた偈文の一つ。「衆生盲冥愚癡覆 我當度脱三有苦」(衆生の盲冥愚癡を覆し我当に三有苦を度脱せん)
【度脱】 解放すること 煩悩から脱し仏の世界に入ること
三有苦】(さんぬく) 欲界・色界・無色界に存在すること 三界のこと
【火宅】 煩悩と苦しみに満ちたこの世を火に焼けた家に例える 『法華経』譬喩品の三車火宅の教えを踏まえた表現
【梵焼】(ぼんじょう) 焚いて焼いてしまうこと
【阿難】 釈尊に常に従った仏弟子。美男として知られる。後に仏典結集にも参加。
【夜叉】(やしゃ) 古代インドの神霊的な半神、仏教にとりいれられ仏法を守護する存在となった
【夜叉大将】 夜叉を統領するもの
【般遮羅】(はんじゃら) 二十八大夜叉の一人 般遮羅旃陀のこと
【功徳荘厳満月の面】 釈尊の身体的特徴である八十種好にある面満浄如満月を踏まえた表現
【居諸】(きしょ) 日月のこと 「日居月諸」からとられた
【三五】(さんご) 15日のこと
【中心】(ちゅうじん;声明ではちうじん) 内面の心 本質のこと

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