涅槃講式 初段 その二

「涅槃講式 初段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110330/1301491947
「涅槃講式 初段 そのニ」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110401/1301660527

≪ 原 文 ≫ 

 遂に則ち、力士生地娑羅林の間にして、面門の光を二月十五の朝(あした)に放って、最後の別(わかれ)を五十二類の耳に告ぐ。
 菩薩声聞天龍八部一恒沙の大菩薩等を始(はじめ)とし無量数の蜂虫衆類を終(おわり)とす。八十恒沙の羅刹王は、可毘羅刹を上首とし、二十恒沙の師子王は、師子吼王を上首とす。乃至鳧鴈鴛鴦(ふがんねんのう)の族(やから)、水牛牛羊(すいごごよう)の輩(ともがら)、皆、光に触れ、音(こえ)を聞いて、各(おのおの)大苦悩を生(な)す。
 人天は金銀(こんごん)財宝を担い、禽獣は花茎樹葉を衙(ふく)んで、双樹の間に往詣し、如来の前(みまえ)に集会(しゅえ)す。悉く汗を流して満月(まんがっ)の尊容を瞻仰し、各(おのおの)涙(なんだ)を連ねて微妙(みみょう)の正法を聴聞す。その正法といっぱ所謂、

   声聞縁覚(ねんがく)同じく一果に帰す 定性無性悉く一性あり 金剛宝蔵はわが所有(しょう) 三点四徳は、わが所成なりと。

 深義を聞くに、悲喜相交(あいまじ)わり、遺訓と思うにも、追恋弥(ついれんによいよ)倍(ま)す。面々に憂悲の色を含み、声声に苦悩の語(ことば)を唱(との)う。諸天龍神の涙は、地に流れて河と成り、夜叉羅刹の息は、空に満ちて風に似たり。

 

≪ 現 代 語 訳 ≫ 
 ついに二月十五日の朝を迎え、マッラ族の住むクシナガラのサラ林の中で、釈尊は眉間の白毫から光を放って、最後の別れを集まってきた五十二類の皆に告げたのです。
 その五十二類とは菩薩・声聞、天部や龍神といった多くの大菩薩衆をはじめとして、数え切れないほどたくさんの蜂・昆虫・禽獣にまで至ります。八十恒沙もの多くの羅刹たちを率いる王は、可毘羅刹といいまして、二十恒沙もの獅子を統べる王は、師子吼王といいます。これらの羅刹・獅子・雁やオシドリといった鳥類・水牛・羊たちまでもが、釈尊の惜別の光に触れ、お別れの声を聞いて、皆大いに悲しみ苦しみました。
 人間や天人は金銀財宝を持って、動物たちは花や木の葉を口にくわえて、サラ林の中に詣で来て、釈尊の御前に集まりました。皆汗を流して釈尊の満月のように光り輝くお顔を尊み仰いで、それぞれ涙を流して計り知れぬほど深く見事な最後の釈尊の説法に聞き入りました。その最後の説法とは次のようなものです。

 声聞も縁覚も皆同じ仏の境地に到達することができる 悟りを得ることが決定している者もいかに努力しても悟れない者も皆同じく仏となりうる種(仏性)をもっているのだ その仏性はダイヤモンドのように永遠に壊れない宝物なのだ この「三点」と常・楽・我・浄の「四徳」こそが私の悟りの境地なのだ

 この深く尊い教えを聞ける嬉しさと、釈尊最後の説法という悲しさがこもごも交りあって、「ああ、これが遺訓なのだ…」と思うと悲しみがいよいよ増すのです。皆それぞれの顔に憂いと悲しみをうかべ、口々に釈尊の入滅されることへの苦悩の言葉を言い合います。諸の天部や龍神の流す涙は、地面に流れて河となり、夜叉・羅刹の吐くため息は、空に満ちて風のようになります。



≪ 語 句 解 釈 ≫
【力士】(りきじ) 涅槃講式に出てくる「力士」はクシナガラに住むマッラ族のこと 「力士城」でクシナ城のことを指す
【生地】(しょうじ) 実地ともいい湿気があり草木の生じうる地
【面門】(めんもん) 眉間のこと
【恒沙】(ごうじゃ) ガンジス川の砂のことで数量の単位 無数なる様をあらわす
【鳧鴈】(ふがん) かもと・かり
【鴛鴦】(えんおう) おしどり
【牛羊】(ごよう) 牛とヒツジ
【人天】(にんでん) 人間と神々
【瞻仰】(せんごう) 仰いで尊敬恭敬すること
【微妙】(みみょう) 巧妙の・聡敏の・すぐれて見事な
【正法】(しょうぼう) 正しい教え・真理
【声聞】(しょうもん) 仏の教えを聞いて修行し悟る人
【縁覚】(えんがく) 自分独自の行で悟りに至る人
【一果】 悟り・修行の到達点・仏たる境地
【定性】(じょうしょう) 本性・本質 声聞・縁覚・菩薩の三乗のいずれかになるべく本性の決定している者
【無性】 いかに努力をしても悟れない者
【一性】 同一の清浄な性
【金剛宝蔵】 金剛のように堅固な宝蔵 仏教のこと
【三点四徳】 この偈文前三句を「三点」涅槃の徳である常楽我浄を「四徳」と称す
【常楽我浄】 涅槃は永遠であり(常)安楽に満ち(楽)絶対であり(我)清浄である(浄)こと
【所成】 完成さるべきこと
【憂悲】(うひ) 憂いと悲しみ

「涅槃講式 初段 その三」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110403/1301806825