涅槃講式 表白・初段 校勘記

 本日は四月八日。仏生会、俗に言う花まつりです。
このように大変な世相ではありますが、仏教徒としてお釈迦様の誕生を寿ぎたいと思います。

   誰れか歓喜の咲(えみ)を藍園の誕生に含み、痛惜の涙を双林の入滅に流さんや。

  

 これは涅槃講式表白段の一節です。先師明恵上人の喜びはこの文章からもひしひしと伝わってきます。声明としても「らーんんのぉんのー」と大変綺麗な音動の箇所です。


 さて、涅槃講式表白段・初段を一応終えました。ここで「校勘記」として解釈に迷った所や特記したい所を思いつくままに述べます。
 (本来「校勘記」とは中国正史の各巻末に複数の写本や刊本、記述の相違などを録するもので、厳密にいえば本意とは違います)


 ・「一々微塵毛端刹海」…これは微塵の中に大きな世界があるという『華厳経』の根底にある思想から来た表現だと思います。なんとも表現しにくく月並みになってしまいました。
 ・「それ法性は動静を絶つ。動静は物に任せたり。如来は生滅なし。生滅は機に約せり。」
   …動静は物に任せるんだけど法性にはない。生滅は機根によるんだけど如来にはない。と後ろの句を前にかけました。いきなり解釈し難かったんですが、これはやはり前にかけるんだと思います。
 ・「鞞瑟長者」…『華厳経』で善財童子が訪ねた長者…なんですがよくわかりません。=「安住長者」「鞞瑟胝羅」
 ・「海雲比丘」…先日、訪れた尾道・天寧寺の三重塔が「海雲塔」だったので、すわ『華厳経』関係かと思いましたが単に彫刻による由来でした。
 ・「且うは滅後弧露の悲歎を慰めんがため」…本によっては「頼るもののない一人ぐらしの人」というような訳がありますが、釈尊(頼るべきもの)のいなくなった悲しみととりました。
 ・「我当度脱三有苦の唱」…「大正新脩大蔵経テキストデータベース」の『華厳経』で見つけました。「唱」という以上は釈尊が言ったことと思いましたんで。
 ・「力士生地娑羅林の間にして」…「生地」には草木のある地という意があるのですが、そのままで訳すと「力士」がいきないので「生きている地」ともとって「マッラ族の住むクシナ城」と釈しました。
 ・「順逆超越して諸の禅定に入る」…この「順逆」は「順縁と逆縁」ということですが、どうも上手く表現できませんでした。