涅槃講式 第三段 その二

「涅槃講式 第三段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110529/1306674252

≪ 原 文 ≫

 鞞瑟(びしゅ)長者不滅度際の法門の体(たい)を説いて云く。普く十方一切世界去来今(きょらいこん)の仏を見るに、涅槃したもう者なし。衆生を化する方便の滅度をば除くと。 

 香象大師釈して云く。他心を変異して出没(しゅっもつ)を見せしむ。それ実に常身は出(しゅつ)なく滅なしと。乃至顕現甚深 出没無碍 広大仏事 未曽失時(みぞうしっじ)等の涅槃の諸義、この中に広く説くべし。
 然れば則ち如来の涅槃は、衆生を捨つるにあらず、唯(ただ)難化(なんけ)の過を懲し、専ら哀悲の思を勧むるなり。今但聞其名(こんたんもんごみょう)、惜哉我不見(しゃくざいがふけん)の宝積(ほうしゃく)の芳契、咸皆懐恋慕(げんかいえれんぼ)、而生渇仰心(にしょうかつごうしん)の法花の遺訓、見聞の処に、悲喜甚だ深し。

 快い哉。既に教網の一目に罹れり。盍(なん)そ苦海の波浪を出でざらん。何(いか)に況(いおう)や出現涅槃は水波の如し。総別十門互に全収せり。恋慕渇仰の風、跋提河(ばっだいが)の岸に涼しく、憍恣厭怠の雲、娑羅林の空に晴れぬ。涅槃山(さん)の峰に出現の月を待ち、生死海(しょうじかい)の底に菩提の珠(たんま)を得んこと、何そそれ難しとせんや。

 仍って恋慕渇仰の思を凝らして、伽陀を唱え礼拝を行ずべし。

 (伽陀) 為凡夫顛倒  
       実在而言滅
       以常見我故
       而生憍恣心
 
  南無大恩教主釈迦牟尼如来生々世々値遇頂戴

≪ 現 代 語 訳 ≫
 また『華厳経』には善財童子が鞞瑟長者を訪ねた際、長者が不滅度際菩薩の教えについて「全ての十方世界、過去・現在・未来の三世の仏を見ても釈尊のように涅槃に入られた仏はいらっしゃらない。ただ衆生を導く方便として入滅した場合を除いてはだ」と説いたとあります。

 香象大師法蔵三蔵が『華厳経探玄記』で涅槃のことを解釈して「釈尊は人間の肉体を借りてこの世にお出ましになり、そして没することを衆生に見せたのだ。そもそも常にこの世にいます仏の御体は生まれることも滅することもないのだ」と著しています。或いはその他の涅槃の意味もこの中に広く説いています。
 そうするとつまり、釈尊が涅槃に入られたことは、決して私達衆生を救うことをあきらめ見捨てたわけではないのです。仏の教えをわかろうとしない人々の過ちを懲らしめるために、自ら涅槃に入られることで別離の悲しみを私達に教えて下さったのです。
 「今からはただその御名前を聞くだけで、惜しいかな!私たちはもう釈尊にお会いできないのです!」という『大宝積経』にある釈尊との芳しい契り!「全ての人みな悉く釈尊への恋い慕う心を抱いて、釈尊を仰ぎ慕う気持ちになるのだ!」という『法華経』の御教え!釈尊を見たり、またその教えを聞いたりした者には本当に悲しみも喜びもとても深いものです。

 ああ、なんと快いことでしょう!釈尊を恋い慕う私達はさながら苦しみの海を行く魚のようなものですが、もう釈尊の投げられた仏教という投網の目にかかっているのです。どうしてこの苦しみの大海の大波から逃れられないことがありましょうか。何といっても釈尊がこの世にお出ましになり、また涅槃に入られたのも、この苦しみの海に波が立ちそして波が収まって海に戻るようなものです。釈尊のお説きになった教えは全てこの中に収まるのです。
 釈尊を恋い慕いその徳を仰ぐ風は跋提河の岸に一陣の清風のように涼しく吹き、私達の心にかかるおごり怠りの雲は消え失せ、サラ林の空は晴れ渡っています。釈尊の教えに触れた今や、涅槃の山に現れる月を待って、この無限に続く生死の苦海の底に「悟り」という宝を得ることがどうして難しいでしょうか。

 さあ、釈尊を恋い慕い、仰ぐ思いを一心に念じて伽陀を唱えて礼拝しようではありませんか!

 (伽陀) 愚かな私達が誤った考えを持つから、
      釈尊は今ここにおられるのに入滅してしまったように言うのです!
      とはいえ、いつも釈尊の御姿を見せてしまうと、
      いつまでも変わらないものがあると考え、おごり自分勝手な心が生まれるのです!

        生まれ変わり死に変わりして幾千万世を経ても大恩教主釈尊を礼し帰依致します。

≪ 語 句 解 釈 ≫
【鞞瑟長者】(びしゅ) 『華厳経』入法界品に登場する長者。安住長者ともいう(梵名:鞞瑟胝羅)善財童子が23番目に訪ねた居士。首婆波羅城に住む。過去に現れた仏に仕え、栴檀仏塔を供養し、法を分別し、衆生に顕現し、一切諸備を見知するという。善財童子に不滅度際菩薩の法門を示し、仏は過去・現在・未来の三世に、あらゆる姿で世の中を教え導き、しかも永遠に変わることなく在すことを説いた。
【普く十方一切世界去来今の仏を見るに、涅槃したもう者なし…】『華厳経』巻五十 入法界品 「普見十方一切世界 去來今佛無涅槃者 除化衆生方便滅度」からの引用
【法門】 真理の教え・仏の教え
【香象大師】 華厳宗第三祖法蔵(643−712)の称号。唐代に則天武后の庇護を受け『華厳経』を訳し、華厳教学を大成した。
【他心を変異して出没を見せしむ…】 法蔵著『華厳経探玄記』四巻第十九 盡第六地知識にある「初見佛功徳身常除化衆生者。但変異他心令見出歿。其実常身無出無滅。」からの引用。
【他心】 他人の心
【常身】 常住の仏身
【乃至顕現甚深…】 文脈上法蔵著『華厳経探玄記』における涅槃の意味の解釈であると考えられるが今のところ該当部分はわからない。
【今但聞其名 惜哉我不見】 菩提流支訳『大宝積経』巻第二 三律儀会第一之二の偈文からの引用
【咸皆懐恋慕 而生渇仰心】 『法華経如来寿量品第十六の偈文からの引用
【渇仰】 その人の徳を仰ぎ慕うことを渇している者が水を切望することに例えて言う
【遺訓】 遺された教え・後人に残す教訓
【教網】 衆生を魚に、仏の教えを網に喩えて仏の教化を意味する
【総別】 一般と特別
【十門】 十種の方面
【跋提河】(ばっだいが) ガンジス川の支流
【生死海】(しょうじかい) 海の如く無限に続く生死・苦の海