涅槃講式 初段 その三

「涅槃講式 初段 その一」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110330/1301491947
「涅槃講式 初段 そのニ」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110401/1301660527

≪ 原 文 ≫ 

 漸く中夜に属(しょく)して、涅槃時到れり。満月の容(こおばせ)に哀恋の色を含み、青蓮(しょうれん)の眸に大悲の相を現ず。僧伽梨衣を却(しりぞ)け、紫金の胸臆(くおく)を顕して、普く大衆に告げて言(のたま)わく。
 
    我涅槃しなんと欲(おも)う。一切の天人大衆、当に深心(じんしん)に我が色身を見るべし と。
 
 かくの如く三反告げ畢(おわ)って、即ち七宝師子の床(ゆか)より、虚空に上昇(のぼ)ること、高さ一多羅樹、一反告げて言わく。
 
    我涅槃しなんと欲(おも)う。汝等大衆、わが色身を見るべし と。

 かくの如く廿四反、諸(もろもろ)の大衆に告ぐ。
 
    我涅槃しなんと欲(おも)う。汝等大衆、我色身を見るべし。これを最後に見るとす。今夜見已(おわ)んなば、復(また)再び見ることなからん。

 かくの如く諸の大衆に示し已って、還って僧伽梨衣を挙げて、常の如く所被(きなお)したもう。如来復(また)、諸の大衆に告げて言わく。
 
    我今、遍身疼(ひいら)ぎ痛む。涅槃時到れり。

 この語(ことば)を作し已って、順逆超越して、諸の禅定に入る。禅定より起ち已って、大衆のために妙法を説く。所謂、

    無明本際(むみょうほんざい)、性本(しょうほん)解脱我今安住(がこんなんじゅう)、常寂滅光、名(みょう)大涅槃 と。

 大衆に示し己って、遍身漸く傾(かたぶ)き、右脇(うきょう)にしてすでに臥(ふ)す。頭(こうべ)北方を枕とし、足(みあし)は南方を指す。面(おもて)を西方に向い、後(うしろ)東方を背けり。即ち第四禅定に入って、大涅槃に帰したまいぬ。


≪ 現 代 語 訳 ≫ 
 いよいよ夜中となって涅槃の時がやってきてしまいました。釈尊の満月のようなお顔も悲しげなご様子で、青蓮華のように美しい眼には滅後の衆生のことを思う慈悲の御心が現れています。釈尊は大衣の袈裟をお脱ぎになり、紫金色の胸を露わにされて集まった大衆におっしゃりました。
 
    「いよいよ私は涅槃に入る。諸々全ての生き物たちよ、心の奥底に私の肉体を焼きつけておくように」

 このように三度言い終わると、すぐに金銀宝石といった七宝で飾った獅子座から中天に浮き上がり、タラの樹よりも高く上がったところでおっしゃりました。

    「私はこれより涅槃に入る!そなた達、私の肉体をしっかり見ておくがよい」

 このように24回繰り返して、再び集まった大衆におっしゃりました。

    「私はもう涅槃に入る!そなた達は私の肉体をよく見ておくがよい。これが見納めよ。今夜見終わればもう二度と見ることはあるまい」

 このように大衆に言い終わって、再び袈裟を肩にかけていつものように着直されました。釈尊はまた大衆におっしゃりました。

    「体中の節々が痛くなってきた…もう涅槃の時が来たようだ」

 こう言い終わって、すべての因縁を超越して静かな瞑想に入られたのです。やがて瞑想より起き、釈尊は大衆の為に説法されました。

     この世は迷いの世界ではあるが、一切の生き物は本来そのまま仏である。私は常寂光土という理想の浄土へと赴く。そこは「大般涅槃」という世界だ。

 大衆に言い終わるや、ゆっくりと体を横たえ右脇を下にし、枕を北に御足を南へ向け、お顔を西に傾け背中を東にされて伏せってしまいました。そうして最も尊い「第四禅定」に入られてついに大涅槃の境地へと達せられたのです。


≪ 語 句 解 釈 ≫
【中夜】 夜の中間・夜中 9時―1時或いは10時―2時
【青蓮】(しょうれん) すいれんの一種 青と白とがきれいに分かれていることから仏の眼をあらわす
【僧伽梨衣】(そうがりえ) 大衣・重衣とも。三衣の一つ。九条あるいは二十五条の袈裟。説法・托鉢の時につける。
【胸臆】(くおく) 心の中
【深心】(じんしん) 深い仏の境地を自己の心中に求める心 深く信じる心
【色身】 肉身・肉体 姿かたちを持った仏の身体
【七宝】 七つの宝・宝石 金・銀・瑠璃・シャコ・コハク・メノウ・水晶など諸説ある
【師子の床】(ししのゆか) 獅子座・仏の座る所・仏の座席 仏も一切の者の王者であるから人間の中の獅子であるという
【多羅樹】(たらじゅ) 棕櫚に似た木で高いものは24メートル〜25メートル。花は白色で実は赤色でざくろに似る。
【遍身】(へんじん) 体中
【疼ぎ痛む】(ひいらぎいたむ) 体が痛むこと
【順逆】 縁起を観ずる二つの方法 順縁と逆縁
【禅定】 心静かに瞑想すること
【無明本際性本解脱我今安住…】 唐・若那跋陀羅訳『大般涅槃経後分』にある「無明本際性本解脱。於十方求了不能得。根本無故。所因枝葉皆悉解脱。無明解脱故。乃至老死皆得解脱。以是因縁。我今安住常寂滅光名大涅槃。」からの引用
【無明】 迷い・無知・苦をもたらす原因
【本際】(ほんざい) 真理の根拠 過去・以前の状態 涅槃
【安住】 身も心も安んずる
【常寂光土】(じょうじゃっこうど) 法身の住する浄土・常住の浄土・絶対的な理想的境地
【第四禅定】 苦楽を離れた第四の禅定

「涅槃講式 初段 その四」http://d.hatena.ne.jp/kuzanbou/20110407/1302178199